コラム

社長コラム
2023.03.10
人はなぜ走るのか
閑話休題ロゴ

 みなさまこんにちは。風光社グループ代表の細川です。先月、3年ぶりにリアル開催された京都マラソンに出場しました。前回のレースでは35km過ぎに脚の痛みで大失速、ほうほうの体でゴールして「もう二度と走らない」と宣言していた私ですが、結局はボート部の先輩たちとまた走ることになりました。体育会恐るべし。

いきなり致命的な記入ミスを犯した体調管理チェックシート。訂正印を押してバッチリOK!
大粒の雨が降りしきる、たけびしスタジアム京都こと西京極陸上競技場。命名権のお値段は4000万円。

 「人はなぜ走るのか」。〝ランナーのバイブル〟と称されるクリストファー・マクドゥーガル著「BORN TO RUN」によると、ホモ・サピエンスはスピードが出せなくても、どんな動物よりも長い時間=距離を走る能力を持つことで種を存続させることができた、と書かれています。もはや狩猟のために「走る」必要がない現代では、体内に残っている遺伝子レベルの記憶が人を走らせているのでしょう

「全米20万人…」と同時に日本人
1人の走りも変えました。

 最近の研究では、ウオーキングやジョギングなどの運動が脳の働きを良くするとわかってきました。アシックスによると、ある運動プログラムに取り組むことで認知機能が平均10%、問題解決能力9%、短期記憶能力12%、処理速度と注意力も10%向上し、自信や不安感などのメンタルヘルスの状態も改善されたとのこと。とはいえ、普段からもの忘れの激しい私は、「トレーニングをしていてもこのレベルか」と天を仰いで嘆息するしかありませんが。

 アンデシュ・ハンセン(ベストセラー「スマホ脳」の著者)の「運動脳」では、もう少し具体的に運動、特にランニングによって認知機能が向上する理由を説明しています。なかでも「暗記の能力」はランニング、「連想記憶(顔と名前を一致させる記憶のこと)」は筋トレ、カギをどこに置いたかを思い出す記憶はランニングと筋トレの両方が影響するそうです。どちらにも取り組んでいるのに、しょっちゅう手帳やカギを失う私はいったいどうすればいいのでしょうか?

「脳トレは意味がない」とか「ただし、走り過ぎると忘れっぽくなる」とか、なかなかインパクトのある内容です。
みやすのんき=エ◯マンガのイメージでしたが、マラソンに賭ける生きざまは硬派そのもの。

 いわゆる〝体内性モルヒネ〟のエンドルフィンで合法的に違法レベルのハイな状態になれる、ランナーズハイと呼ばれる現象もあります。アメリカ人の長距離ランナー、ジェイムズ・F・フィックスが著書「奇蹟のランニング」で、走るという行為で生まれる苦痛を取り除き、獲物を捕らえる確率を高めるために備わった能力と説いています。残念ながら私には、これまでただの一度も経験がございません。

いまだと「ゾーン」とされるのがランナーズハイなの
でしょうか?まあ、どちらにも入ったことはないですが。

 むしろ私にとっては「ランニング=苦痛との闘い」。なのに、なぜ私は走るのか?それは前夜たっぷり摂ったアルコールを排出し、カラダをフレッシュな状態に戻してから最高の晩酌を楽しみたいから。つまり「飲むために走る」です。はい、こんな私はストイックなランナーたちの風上にも置けません。

 ちなみに「運動脳」では、人間の持つ「選択的忘却」にも触れています。これはマラソン選手がゴール直後に「もう二度と走らない」と漏らしていたのに、しばらく経ったら別のレースにポチっと申し込んでいる状態を指します。そう、獲物を追いかけた時の苦痛の記憶が鮮明過ぎて、二度と狩りをしなくなるようではいけません。そうならないよう、人間が運動している時の苦痛を本能的に忘れる力が「選択的忘却」の正体です。

初めて厚底シューズでの参戦!
その実力やいかに…?
蓋を開けたら4時間すら切れない〝史上最遅〟タイム。ダメだこりゃ。

 この「選択的忘却」が私に悪さをしたようで、3年前のレース後に「もう二度と走らない」と決めた記憶を脳が勝手に消去した訳ですね。そして予想通り35km付近から脚が痛みだし、ランナーズハイにも入れなかった私はゴール後、こう宣言するハメに。

「もう二度と走らない」