コラム

社長コラム
2022.12.09
山の辺の道
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 みなさまこんにちは。風光社グループ代表の細川です。

 先日、ある方に奈良県にある山の辺の道を案内してもらいました。古事記や日本書紀にも記されているこの道は、春日山(奈良市)のふもとから三輪山(桜井市)をつなぐ全長およそ26kmの古道です。さすがに1日で歩き通すのは大変なので、今回は桜井から天理市トレイルセンターまでの8kmを、ガイドつきのツアーでゆっくり歩きました。

 近鉄桜井駅で集合し、北に向かって歩いて行くと大和川を渡ります。笠置山地を源流とし、山岳信仰の霊地だった初瀬(はせ)渓谷から奈良盆地を通って大阪湾に注ぐ大和川。かつて大陸からの使者や物資を運び込む物流の大動脈で、山の辺の道と交差するこの地域には日本最古の市とされる海石榴市(つばいち)があったそうです。ただ、現在は住宅街になっていて当時の面影がまったくないのが残念無念。

以前は「日本一汚い川」という〝汚名〟を着せられた大和川。今は見違えるくらいキレイです。

 次の目的地は日本最古の神社である大神(おおみわ)神社。祀られているのは大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)。この神様は、出雲の大国主神(オオクニヌシノカミ)の前に現れ、国造りを成就させるために自分をこの三輪山に祀るよう、お願いして鎮座したのが始まりだそうです。近くには大神神社の摂社である檜原(ひばら)神社があり、こちらは元伊勢のひとつで天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀っています。どちらも社殿はなく三輪山そのものがご神体という、神話の時代の様式を引き継いでいることが共通点です。

荘厳な雰囲気が漂う大神神社。 境内のご神木には大物主大神の化身である白蛇が棲むといわれ、蛇の好物である卵が供えられています。ちょっと生々しい感じがとてもいいです。

奈良の歴史研究」で紹介したこの本では、海石榴市のことがリアルに描写されています。
たまたまこの本で予習していたことが、今回のツアーでおおいに役立ちました。

 さて、神話のお次は古墳時代。すぐ近くにあるホケノ山古墳は、3世紀中頃に築造された前方後円墳です。ガイドさんによると古墳時代は3世紀から、飛鳥時代は7世紀、それに続く奈良時代は8世紀、などとお聞ききしましても、もはや時間軸が違い過ぎてまったく想像が追いつきません。いかに普段、近視眼的なモノの見方をしていたかを思い知らされました。そう考えると国生みの時代から、仏教伝来による律令国家の成立までの歴史をリアルに体感できるのは、日本広しといえどもここ奈良しかないわけです。歴史が好き、といっても武家社会成立以降しか興味がなかった私ですが、なんでも直に体験すると興味が湧いてくるものです。

ホケノ山古墳の上から眺めた奈良盆地。お天気がよければテレワークもお昼寝も思う存分楽しめます。が、お墓の上ということをお忘れなく。

 いつしか太陽は西へ西へと傾き始め、一気に薄闇が広がってきました。しかしツアーは動じずのんびりと進みます。東の空には大きなお月さんが昇り、懐中電灯とスマホのライトを頼りに北へ北へ。結構激しいアップダウンを越え、用水路の脇を通り、狭い未舗装路を喘ぎながら歩いていくと、見えてくるのは景行天皇陵や崇神天皇陵。…のハズですが真っ暗なのでただの山にしか見えないのが残念。ここから民家の密集地帯に入ったと思うと、目的地の天理市トレイルセンターに到着しました。

「うつそみの 人にある我や 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟背(いろせ)と我が見む」
大伯皇女(おおくのひめみこ)が弟の大津皇子を偲んで詠んだ、夕暮れの二上山。

 単に歩くだけだと2~3時間もあれば踏破できる距離を、ほぼ9時間費やして歩いた山の辺の道。しかし風景や建物のひとつひとつに物語があり、古代の人々の息遣いが手に取るように感じられます。何もなければふと通り過ぎるような風景や史跡も、説明を聞くとまったく違って見える感覚はガイドツアーならでは。最近は写真を撮ってハイ次へ移動、といった旅が流行っていますが、あえて悠久の時の流れに身を任せるような旅もいいものですね。いやあ、奈良はホント興味深いです。