コラム

社長コラム
2022.10.06
海外旅行
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 みなさまこんにちは。風光社グループ代表の細川です。

〝海外旅行〟という言葉を日常で使わなくなってずいぶん経ちました。感染症が落ち着きつつあり、いろんな制限が緩和されつつあるものの、一気に進んだ円安など海外へ旅行するハードルが下がるには、もうしばらく時間が必要なのかもしれません。

 などと書いてはいますが、実は私は生粋の国内旅行派。その最大の原因は飛行機での長時間の移動が大嫌い、という性分にあります。なにせ、通路側でなければほぼ行動の自由がない、あの狭いシートに身柄を拘束される極悪な状況に耐えられるのは、3時間から4時間が精一杯。そうなると韓国、中国、グアム、台湾くらいまでは問題なく、香港あたりがギリギリセーフとなります。強いて言えばロシアもハバロフスクくらいまでならOKですが、よく考えると韓国とグアムを除いてビミョーな国際情勢の国ばかり。これでは誰もご一緒してくれそうにありません。

 それでも若い頃は(←オジさんの常套句)体力があったのか、結構な長時間のフライトでも音を上げることなく旅していました。ちなみに私の初めての海外旅行は大学の卒業旅行。バブルの盛りの1990年、同級生はバイトで貯めたお金をスーツケースに押し込んで、アメリカやヨーロッパへひとっ飛び。「ヨーロッパ周遊8日間の旅」のような弾丸パッケージツアーが大人気で、パリの高級ブランドショップには日本人がこれでもかと押し寄せて、となにやら既視感のある光景が繰り広げられていた時代です。

 大衆迎合(?)をよしとしない私と悪友は、「パッケージツアーなど笑止千万。バックパックひとつでふらりと風に吹かれつつ、気の赴くまま足を運ぶのが旅、本当の旅だ!」と喫茶店で怪気炎を上げ、日本人にとことん出会わない国に照準を合わせることしました。その結果は〝バックパックひとつで南米大陸一周の旅〟。旅行は2月から3月にかけての1ヵ月間を予定していたので、季節が逆になる地球の裏側は夏真っ盛り。しかも真夏の祭典の代表格こと「リオのカーニバル」の開催時期にちょうど当たることが判明、最終的にこれが決め手となりました。

ペルーを、いや南米を代表する観光地であるマチュ・ピチュ。よくぞこんな場所に〝天空の要塞都市〟を作り上げたものです。

マチュ・ピチュ観光の拠点クスコからチチカカ湖のあるプーノまで、アンデス山脈の麓を縫って走る鉄道。ただいま休憩中☕

チチカカ湖に浮かぶ〝藁(わら)〟で作った浮島。皆さんここで生活しています。標高なんと3,800m!

 さてこの南米旅行、飛行機でのアクセスは成田からロスへ飛び、いったんアメリカに入国してからメキシコへ。ここで別の飛行機に乗り換えてペルーの首都リマまでトランジットを含めて一昼夜、というルート。さすがに往路は外国へ初めて足を踏み入れるという高揚感と、言葉を含めて1ヵ月も大丈夫かな?という不安感が出ては消えての繰り返し。そのおかげで長時間のフライトもなんなくこなした気がしますが、問題はその帰り道。

アルゼンチンとブラジルの国境に位置する世界最大の〝イグアスの滝〟。圧倒的な水量とその落下による地響きが、カラダとココロを揺さぶります。

ブラジルの国内線の飛行機はすべて自由席。しかも必ずオーバーブッキングしているので早い者勝ち。搭乗ゲートが開くと全員ひたすらダッシュ!
湖のように見えるアマゾン川。ここマナウスは河口から1,500kmも上流なのに、川幅は7km!
なにもかもスケールが違います。

 ロスまでは旅行疲れと夜間のフライトということもあって爆睡できたものの、ロスから成田はもう眠れない。仕方なくアルコールを嗜み始めると、人間ですからトイレに行きたくなる。でも通路側にはサングラスをした小錦関クラスのオジさんが鎮座していて声をかけなくては通れない、という状況。もちろん1回目、2回目までは通してもらうのですが、3回目となるとさすがに声がかけられない。そういえば「居候三杯目にはそっと出し」なんて川柳があったなあ、とか考えながら必死で耐えたことが、飛行機の長時間移動を嫌悪するキッカケとなりました。

ペルー・ボリビア・チリ・アルゼンチン・ブラジルを周遊(放浪?)し、ラストは再びペルーへ。
これも南米屈指の観光地、ナスカの地上絵。セスナ機の運ちゃんがサービス精神旺盛で、まあ激しく上下左右に機体を振り回すこと。後半は気持ち悪くて写真どころではありませんでした。

 それでも、たまにはこういう非日常的な刺激で心と身体に〝喝〟を入れなくては、とも思います。まだ前向きにはなりませんが、もう少しいろんなものが落ち着いたら海外旅行も検討するかもしれません。でも〝喝〟を入れるための海外旅行って、いったい誰がご一緒してくれるんでしょうかね。