みなさまこんにちは。風光社グループ代表の細川です。
「鉄道遺産」という言葉をご存じでしょうか?明治時代以降の歴史的あるいは文化的な価値を持つ鉄道の構造物や車両、橋梁やトンネルといった設備や資料など、現在も大切に保存されたり使われたりしているものを指します。そんな中から今回紹介するのは、近畿と北陸を結んだ旧北陸本線の鉄道遺産。このふたつの地域は、歴史を遡ると物資の輸送を通じて強固に結ばれてきたことがわかります。
重くてかさばるコメや日本海の海産物を都へ運ぶため、もともと人力や牛馬に頼っていた時代から琵琶湖を使った水運が盛んになると、近江と越前をつなぐ輸送路が重要視されるようになりました。ところが、輸送のボトルネックは琵琶湖の北に立ち塞がる深坂峠。ここを開削し、琵琶湖と日本海をつなぐ琵琶湖運河の計画は、平安時代の平清盛の頃から繰り返し検討され、実際に工事も行われました。しかし実現することなく時代が進み、鉄道輸送の時代になると1884(明治17)年、官営の北陸本線が開業してこの役を担うことになりました。現在の北陸本線は一部が付け替えられたため、旧本線の跡地にはいくつかの施設がその当時のまま保存されています。今回はこれらの鉄道遺産を自転車で巡りながら紹介します。
つい先日まで汗ばむ陽気だったにも関わらず、当日はシベリアの寒気団が南下し気温は10℃。北からの強風に時折雨という最悪のコンディションの中、自転車で敦賀駅を出発しました。朝の天気予報では曇りでしたが、雨雲レーダーには次から次へと雨雲が。とりあえず雨合羽を着て塩津街道を南へと走ります。北陸新幹線の車両基地を見ながら峠に向かって登っていくと、山がどんどん両側に迫ってきて川沿いの道となり、疋田宿に到着。道路沿いの笙の川(しょうのかわ)はかつての琵琶湖運河のルートの一部で、江戸時代には敦賀からこの疋田まで川舟を人力(!)で引き上げて物資を運んでいたそうです。
ここで塩津街道と別れ、現在では国道8号線となった西近江路へ。ほどなく北陸自動車道と並走し、脇道にレンガ造りのトンネルが見えてきます。ここが鉄道遺産である旧北陸本線の小刀根(ことね)トンネル。日本人技術者によって掘削され、当時の姿をそのまま残す最古のトンネルです。ここで本降りになったので、休憩を兼ねて雨宿り。レンガ造りのトンネルは荘厳な雰囲気で、まさに〝遺産〟と呼ぶにふさわしい佇まいです。
さらに先へ進むと、今回のハイライトである柳ケ瀬トンネルに到着。こちらは道路に転用され、自動車で通ることができます。残念なことに自転車は通行禁止なので、車に乗って開業当時日本最長だった1,352mのトンネルをくぐります。1884(明治17)年の北陸本線の開通で蒸気機関車による貨物輸送が実現し、敦賀~長浜間の輸送力は飛躍的に増えました。ただ、このトンネルは滋賀県側に向かって最大25パーミル(‰:1000mで25m上がる)のきつい傾斜になっていて、たびたび機関車が登れず立往生するなど輸送障害を起こしました。さらにトンネル内で立ち往生した機関車の機関士や乗務員らが、煤煙に巻かれて窒息死する悲惨な事故が頻発したため、北陸本線は1957(昭和32)年に新たに掘削した深坂トンネル(5,170m)を通るルートへ切り替えられ、支線となったこの区間は後に廃線となりました。
明治時代の機関車の大きさに合わせて掘られたトンネルは狭く、かなりの圧迫感。低い天井部分にはいまも真っ黒な煤が残っていて、歴史を感じます。はるか先に見える光の輪が大きくなると、トンネルを抜けてそこは近江の国。あとは一直線に長浜へ向かいます。かつては北国街道、現在では国道365号線となったこの道沿いには、旧中之郷駅のプラットホームが残されており、この道が以前は鉄路だったことを思い出させてくれます。それにしても滋賀県に入ると雨は上がる、という根拠のない期待も裏切られ、依然として雨脚は強いまま。あまりに寒いので、木之本では滋賀県民のソウルフードである「サラダパン」でしっかりと栄養補給。
長浜駅に到着したのは、とっぷりと日が暮れてから。寒さと強風と雨に祟られたサイクリングではありましたが、このルートは景色の変化が楽しく飽きません。また北国街道は織田信長、豊臣秀吉、柴田勝家、浅井長政ら戦国大名が行き来した道。小谷城跡や姉川の合戦地など戦国時代の遺産も点在し、歴史マニアも楽しめる懐の深いエリアでもあります。それにしてもお天気には裏切られっ放しだった今回のツアー、終わってから北陸地方に伝わる古い言い伝えを教えてもらいました。それは「弁当忘れても傘忘れるな」。うん、その通り。