コラム

社長コラム
2024.10.11
上町台地
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 みなさまこんにちは。風光社グループ代表の細川です。

 大阪市中央区上汐1丁目4-8という住所を持つ風光社グループ。町名の上汐(うえしお)は知名度が低く、大阪の人にも「あげしお?」と読まれるなど、住所だけでは実際の場所がイメージされにくいことが悩みであります。そのため、「上汐どこ?」が点灯している方にはこう言います。「ウチの会社はタニキュウにあります」と。漢字で書くと谷九。これは谷町九丁目の略称ですね。すると「ああ、谷町筋の」とか「上町台地のあたりやな」てな感じで、相手が大阪人だとたいがいこれで通じます。

谷町九丁目の交差点。日本損害保険協会が発表した令和5年の事故多発交差点のランキングで、なんと全国ワースト3に選ばれました。しかも左折した先にある谷町四丁目交差点は同4位、直進した先にある上本町六丁目交差点は同5位(同率)。くれぐれも安全運転に努めましょう。

 大阪城を北端に南へ約11km、東西2~3kmの幅で隆起している土地を上町台地と呼びます。私たちの会社のある上汐は、この台地のちょうど背骨の部分にあって西側には標高差約20mの急坂があり、大昔はこの坂の下った所が大阪湾の波打ち際だったそうです。九州の太宰府へ左遷される途中だった菅原道真がここで引潮を待ったという故事にちなんで、この一帯は「上汐」と呼ばれるようになりました。

中央が谷町筋の交差点、その先は下りの急坂。さらに向こう側には大阪湾が迫っていました。ビル群の先には、六甲の山並みが見えます。
赤線で囲った範囲が上町台地。頂上部分は大阪城で岬の先端部だったことがよくわかります。出典:国土地理院ウェブサイト ※一部加工済み

 また、この上町台地は夕日の名所として知られていたため、浄土信仰が広まった平安末期から夕日を眺めて西方浄土を観想する「日想観(じっそうかん・にっそうかん)」の修行の場としても賑わい、神社やお寺が建てられました。しかも大阪城を築城した豊臣秀吉が、城の南側の防御が手薄と見抜いて大阪中のお寺をこの台地に集めて防壁代わりにしたため(←罰当たり)、上町台地の界隈にはみっしりと寺院が密集しております。たまに路地裏を歩くと、長い壁と瓦屋根、そして境内にうっそうと茂る巨木や、区画整理で取り残されたお寺の古木が道の真ん中に出現したりと見飽きません。が、基本的には同じような風景が続くため、ボーっと歩いていると自分の位置を見失なったりします。弊社へお越しになるお客様が迷子になるケースが多いのも、このせいかもしれません。

お寺の集まる西高津中寺町筋。大阪では南北の道を「筋」、東西の道を「通」と呼びます。この筋には合計6つの寺院が軒を連ねています。
谷町七丁目交差点の東にある〝楠木大神〟樹齢500~600年といわれ、切ろうとすると工事関係者が事故に遭うという、いわくつきのご神木。

 そう、迷子になる原因に最寄りの谷町九丁目駅の構造も関係しています。地下鉄谷町線と千日前線が接続する交差駅で、地下通路を介して近鉄大阪上本町駅とつながっているこの駅は、通路や階段の配置が複雑怪奇。地下から地上に出るには、地下道の喫茶店や老舗のジャズバー、怪しげなテナント、さらにはオカルティな出来事があった階段という多様なアトラクションに満ちていて、ディープなダンジョン感を味わうことができます。で、そんなことに気を取られていると地上に出た時にはもれなく方向感覚を失うわけです。

大阪メトロ谷町九丁目駅の入口。屋根には大阪市交通局時代の「マルコ」マークから取って代わった、「moving M」が誇らしげに立っています。
もっと複雑な駅は他にもありますが、意外に手ごわい〝谷九ダンジョン〟ただし接続するビルの建て替えで、その姿は消えつつあります。
引用:大阪メトロHP

 もし弊社と真逆の方向へ上がると、同じ上町台地でもまったく別の光景が目に入ります。こちらは生玉というエリアとなりますが、なんと上汐や谷町をさらに上回る日本最大級の寺院の密集地帯。さぞや宗教都市的な景観と雰囲気が、と思いきやここでは歴史ある神社や寺院と隣接あるいは折り重なるかのように、いわゆるファッションホテルが林立しています。これは明治の神仏分離と廃仏毀釈に伴い、廃された社僧屋敷や周辺にあった茶屋の跡地、そして昭和の戦災で焼失し移転した寺院の土地が切り売りされて、こうなってしまったそうです。

谷町筋の生玉歩道橋から天王寺方面を望むと、奥にはかつて日本一高いビルだったあべのハルカス、右手前にはアド近鉄さんのビルが。
生玉から下寺町にかけての南北1400m、東西400mのエリアには約80ものお寺が集積しているそうです。引用:Googleマップ ※一部加工済み

 古くは港である難波津が置かれたり、織田信長の石山本願寺攻めや徳川家康による大阪冬・夏の陣の激戦地であるなど、交通や軍事上の要衝だった上町台地。現代では夕日を浴びた荘厳な寺社建築と、きらびやかなサインに照らし出されるホテル街が渾然一体となり、半聖半俗的な不思議な景観に出会える〝映えスポット〟に。ここに来ると、大昔に社会の授業で習った「ゆりかごから墓場まで」という言葉がよみがえってくるのは私だけでしょうか(意味はまったく違いますが)。

平安時代に弘法大師空海が始めたといわれ、鎌倉時代の歌人藤原家隆らが励んだ日想観。その修行の地が千年後にこんな姿になっていようとは、彼らも想像だにしなかったことでしょう。