大きくなったら何になりたい?
おばあちゃんの喜ぶ顔見たさに「幼稚園の先生」と答えてました。
子どもながらに無理無理無理と思いながら。
オシゴトはカイシャに行くことと思っていた私に幼稚園の先生は具体的に想像できる唯一の職業でした。が適性は皆無。
好き嫌いが多い、というより食べられるものが限られている
運動会や発表会は誰より真面目に練習する!けど当日は熱を出してお休み
遠足は不安と緊張から3日前から乗り物酔い、もちろん当日欠席
お外で遊べば日光に負けて赤く腫れて湿疹だらけ
ひとたび風邪を引けば気管支炎にまっしぐら
出席したら貼ってもらえるシールが満枠になる月はなかったと思います
1園児としてすら全うできない幼稚園生活なのに、先生になってずっと通うなんて無理!
でした
どこかが悪いわけではないが、弱っちくインドア派の私が憧れたのは「お店屋さん」でした
お花屋さん ケーキ屋さんと具体的でないところが今に通じていますが
その時々で好きな物に合わせて都合よく変化させていました。
お店屋さんごっこの時はお客さんよりお店の人の役で取り仕切ります。
パン屋さんでパンを焼く、ケーキ屋さんのケーキつくりに興味は行かず、
お店の可愛いユニフォームに憧れて、お客様に売る人が私の思う「お店屋さん」でした。
笑顔と愛嬌で何でも「はい100万円です」と売りつけてました。
わが家の周りの大人たちは子どもがお金の話をするのを嫌い、お菓子もおもちゃも何もかも全ての価格を100万円と教えられていたのです
お客様に販売する今の仕事は憧れが実現できたのでしょうか?
長時間乗り物に揺られ長距離移動し、炎天下の屋外でお客様に100万を値切られる予定は無かったのですが。
1964年10月1日、東海道新幹線の東京駅ー新大阪駅間が開通。
東海道新幹線は今年で開業60周年。そんな東海道新幹線も開通初日にはドアが開かない・パンタグラフの不具合などで10分〜20分各駅での出発が遅れるトラブルに見舞われました。それでも終点には定刻通り到着。それから60年後の2024年、人々の移動に重要な存在となった東海道新幹線は今日も休まず走っています。
次回は2024年11月1日(金)発行です