コラム

社長コラム
2024.08.08
夏のお祭り
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 みなさまこんにちは。風光社グループ代表の細川です。

 今年も夏本番を迎えました。京都で夏のお祭りといえばもちろん祇園祭。洛中に住む生粋の京都人は「コンチキチン」で知られる祇園囃子が流れ出すと、仕事を放ったらかしてお祭りの準備に専念します(←個人の見解です)。また、生粋の京都人でなく祇園祭にさほど興味がない人は、このお囃子を聞くと「あの暑い夏がまた…」と、陰々滅々とした気分に浸らざるを得なくなります(←私のことです)。

2014年から7月14日の前祭(さきまつり)と、21日の後祭(あとまつり)の2回に分けた山鉾巡行が復活した祇園祭。宵山には提灯に灯が入り、これぞ京都という風情が楽しめます。でも夜とはいえ、えらい暑さです。

 現在では祇園祭と呼ばれていますが、もともとは祇園御霊会(ごりょうえ)と言い、約1150年前の869(貞観11)年、都を襲った疫病を退散させるべく始まった祭礼です。最初の頃は疫病が発生した年のみでしたが、970(元禄元)年から毎年執り行われるようになりました。ただ、応仁の乱や太平洋戦争のような〝戦(いくさ)〟が行われた年や、コレラや新型感染症などの〝疫病〟が蔓延した年は、延期や中止となりました。

 しかし、自然環境の変化は平安時代からの歴史を誇る伝統のお祭りにも、影響を与え始めています。そう、京都どころか地球全体を蝕みつつある温暖化。京都市のHPによると、市内の平均気温はこの100年間で2℃も上昇。さらに最高気温が35℃を超える猛暑日の数は、京都市における最近10年間の平均が24.7日。これは岐阜市の19.7日、甲府市の21.7日を上回る断トツの日本一だそうです。ちなみにインバウンドの熱気で湧き上がる大阪市は18.1日、東京都に至っては9.7日とその違いが際立ちます(京都新聞社調べ)。

見事に三方を山で囲まれた京都盆地。人口100万人以上の都市で、海沿いから離れた内陸部に位置するのは京都市だけだそうです。
今年の7月の猛暑日はなんと18日!しかも後祭の巡行日である24日は豪雨に見舞われ、てんやわんや。懸装品を濡らすと一大事ですからね。

 今年も梅雨明け以降、気温はまさに〝うなぎ昇り〟。そんな中、7月1日の吉符入りから始まる祇園祭は、前祭(さきまつり)と神幸祭(しんこうさい:八坂神社から神輿が四条通の御旅所まで練り歩きます)、後祭(あとまつり)と環幸祭(かんこうさい:今度は神輿が御旅所から八坂神社へ戻ります)、そして7月31日の八坂神社で執り行われる疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)をもって、すべての行事を終えます。

前祭では23基、後祭では11基の山鉾がそれぞれ巡行します。ただ、四条通と烏丸通が歩行者天国になるのは前祭の2日間だけなのでご注意を。
囃子(はやし)方がライブ演奏する囃子方台の広さは4畳半~6畳くらい。建物のほぼ2階の高さに位置するため、高所恐怖症にはつらいです。

 しかし、梅雨末期の粘りつくような湿気と雨、梅雨明けの刺すような太陽の光と道路から立ち昇る熱波、三方を山に囲まれた盆地特有の澱(おり)のように淀む熱気、という「真夏のゴールデントリオ」が支配する古都のお祭りは、そろそろ限界を迎えている気がします。これまで山鉾巡行の曳手(ひきて)は、神事ゆえ人前で自由に給水できないという制限がありましたが、さすがに今年からペットボトルを持つことが解禁されました。すでに高齢化のため地元だけでは人が集まらず、ボランティアに運営を頼る現状に加えて万全の暑熱対策を施すとなると、持続可能性の観点からも危うさを感じます。

山鉾巡行のハイライト「辻回し」が行われる河原町御池の交差点付近には、噂のプレミアム観覧席が。お値段は15~20万円也。
昨年はお料理とお酒がついて40万円(!)でしたが、今年はソフトドリンクのみ。なんといっても「神事」ですからね。

 兼好法師が「家の作りやうは、夏をむねとすべし」と詠むほどに厳しい京都の夏。桓武天皇が都を移して以来、その歴史や文化がいまなお息づく古都ですが、歴史を辿ると新進の気質に満ちた一面も持ちます。首都の東京移転後、衰退した京都の産業を復活させるために建設された琵琶湖疎水、その開通に伴って稼働した日本初の事業用水力発電所である蹴上(けあげ)発電所、そして生まれた電力を使って走る日本初の路面電車の敷設。どれも当時の最先端の取り組みであり、当然猛烈な反対運動もありましたが、いつの間にか日常に溶け込みました。

京都復活の切り札、琵琶湖疎水。この事業は、〝剛腕〟北垣国道京都府知事や工部大学校を出た21歳の田邉朔郎らが完遂しました。
ドラマのロケで有名な水路閣。いくら切り札とはいえ臨済宗南禅寺派総本山の敷地内に、このような洋風の水路の建築を許したものです。

 いい例は1895(明治28)年から始まった時代祭。まったく新しいお祭りにも関わらず、葵祭や祇園祭という千年以上の歴史を持つ祭礼とともに、現在では京都三大祭のひとつとして受け入れられています。こんな柔軟さも持ち合わせている土地柄ゆえ、この伝統ある祇園祭の時期を変更するという大胆な試みも受け入れられる気がします。祭礼を引き継ぐ将来世代のためにも、いまこそ踏み切ってもいいのではないでしょうか。まさに「清水の舞台から飛び降りる」覚悟で。

漆黒の闇に浮かび上がるのは、八坂神社の西楼門。こちらの主祭神は素戔鳴尊(スサノヲノミコト)。あのヤマタノオロチを退治した暴れん坊が、あらゆる厄災を祓うべく睨みを利かせておられます。