みなさまこんにちは。風光社グループ代表の細川です。
歳を重ねるとともに過去の思い出が、映像となって脳裏に浮かぶことが増えてきました。記憶の中の風景はなんとなくセピア色の雰囲気ですが、私の記憶ではそれが年代ごとの色に紐づけられています。幼稚園の思い出はかぶっていた帽子の影響で黄色、小学校のそれは学校が田んぼの真ん中にあったので緑色、校内暴力の嵐が吹き荒れていた中学は赤色(ボスのやっちゃんがいつも着ていたのが赤シャツ)。部活で先生に殴られ続けた高校は黄土色、一転してまあまあ自由を謳歌した大学は淡い水色。サラリーマン時代は扱っていた商品の影響か橙色(電球色)だったりします。
ただ、授業を受けているシーンはなぜか共通してすべて灰色。体育館で長々としゃべる校長先生や、明らかにヅラをかぶっていた化学の先生の顔、黒板に答えが書けず振り向いた時のクラスメイトの呆れた顔なんかも、すべてモノクロで再現されます。そういえば交通違反のせいで受けた運転免許センターの講習の映像も同じであることから、つらいとかしんどいとか面白くないものはすべて印象の薄いモノクロに変換して、そのまま忘れようとしているのかもしれません(あくまでも個人の感想です)。
そんなモノクロの印象しかない授業を、聞く側ではなく話す側となるミッションが舞い込んできたのは、春の気配が漂い始めた3月初旬。昨夏、近畿大学経営学部の2回生の学生を2名、授業の一環で行うインターンシップの派遣先として弊社で受け入れたことがきっかけとなりました。カリキュラムを終え、オンラインで実施した成果発表の際にコメントを入れた私に白羽の矢が…というお話。とりあえずどんなことをするのか書面を、と問い合わせると「このたびは、授業のゲスト講師をお引き受け頂き誠に有難うございます」とのお返事が届き、もはや後戻りできない状況にあることを認識しました。
当日は家族から「くれぐれもSNSで叩かれるような発言はするな」という心温まる声援を受けつつ、小雨の中を近畿大学へ向かいます。わざわざ正門で待っていてくださった今回の仕掛人であるM先生に部屋へ案内されると、なんとそこは大講義室。なんとなく少人数で入る小さな教室を想像していた私にとって、まったくの想定外。いきなり動揺しまくった私は、ケガレのない学生さんの射るような視線を浴び、使い慣れないマイクを握り、うわずり気味の自分の声を聞きながら、チグハグなパワポの操作に終始しました。何度も繰り返したリハーサルはいったい何だったんでしょうか。
とにもかくにも話を終え、ホッとしていると学生さんは与えられた課題でグループワーク。テキパキと役割を決めて議論し、模造紙に文字やイラストが描かれていきます。普段から私のような外部の人の話を聞き、ディスカッションを繰り返しているそうで、流れるように作業が進みます。しかも、その後の質疑応答が鋭いのなんの。ほぼサンドバッグ状態でタイムアップを迎えました。
すべてにおいて想像を超えていた学生さんの学ぶ意欲と多様な視点。授業が終わって雑談している姿はイマドキの若者ですが、真摯に授業に取り組む彼らからは将来の日本、いや世界を担う可能性がプンプン匂ってきました。彼らが将来、このような充実した授業を思い出す時は、いったいどんな色に見えるのでしょうか?
私にとって今回の出来事は、モノクロでしかありませんがね。