みなさまこんにちは。風光社グループ代表の細川です。
〝地獄〟だった京都マラソンを終えてそろそろ自転車に乗りたいなあ、と考えているとお友達から「タンデム自転車に乗って渡船(とせん)を巡るツアーをやるから、手伝いにおいで」というメールが。2人乗りの自転車に乗って、大阪市内に今も残る〝渡船〟を5ヵ所、川底のトンネル1ヵ所と〝水都大阪〟を堪能できるサイクリング。参加しない手はありません。
しかし、このタンデム自転車には厳しい規制があります。なにせ2人分のサドルやペダルが縦に並ぶ構造のため車体が長く、小回りが利かないうえにスピードが出やすい。そのため、許可なしに公道を走ることができません。ところが、いろんな障害を持つ人もタンデムだと手軽にサイクリングが楽しめることから全国各地で公道走行の解禁を求める声が上がり、現在では45道府県で公道走行が認められています。
今回お手伝いするのは、視覚障害を持つ皆さんとのサイクリング。NPO法人サイクルボランティアジャパンの主催で、参加したのはハンドル操作とペダリングを担う「パイロット」と、後部座席でペダリングに専念する「ストーカー」がそれぞれ5名。私とペアになったのは17歳で視力を失って以来、自転車に乗るのは初めてというK野さん。元バスケットボーラーで一児の母でもある、とても明るい女性です。出発前に自己紹介や乗り方の説明をして、いよいよスタート。風は冷たいもののそれほど強くもなく、陽射しが温かいサイクリング日和。全身の感覚で風景の変化を感じ取るK野さんとの会話も弾みます。
さてこのタンデム自転車、ペダルが前後2ヵ所にあってチェーンを介してそれぞれの回転が同じになるよう設計されています。つまり、パイロットとストーカーは同じ力でペダルを回し、同時に足を止めなければスムーズに走れません。そのために必要なのが「スタートします」「足を止めます」などの声かけ。さらに視覚障害の方がストーカーの場合は、曲がる時には方向と曲がるおおよその角度(この先左90度の直角カーブ、とか)、坂道の場合は上りか下りかとその勾配(ゆるい上りのあとやや急な下り、とか)、減速の場合はその理由(信号が赤になったので止まります、とか)、あとは路面の段差など(段差あるのでガタンときます、みたいな)を細かく伝える必要があります。そのため走行中はアタマがフル回転。交通事情の変化と雑談(?)に追われ、ついつい声かけを忘れてギクシャクします。
そんなこんなで最初の渡船場へ。大阪の渡船の歴史は古く、江戸時代から民間で運営していた事業を1907年(明治40年)に大阪市が市営化。現在では8ヵ所で運航し、年間約200万人が利用しています。安治川や木津川は現在でも大型船が通るため、橋を架けるには桁下を高く上げる必要があります。そうなると歩行者は延々と坂道を登らざるを得なくなり非常に不便。それゆえ地域の足としての舟運は必要不可欠で、現在も無料で利用できます
ところがこの渡船、厄介なのが乗り場へのアプローチ。必ず堤防を越えて川面に降りる構造のため、クランク状の坂道を曲がって上り下りが必要です。その際には、長いホイールベースで生じる内輪差を考慮しつつ、後ろを歩くペアの空間と足元も確保せねばなりません。でないと周囲の状況を見ることができないペアが、自転車と柵や壁の間に挟まれて動けない、という事態に陥ります。いやあ、誘導はホント難しい💦
当初の予定より早いペースで渡船を乗り継ぎ、銀色に輝く京セラドーム大阪に近づきます。今日はやけに人が多いな、と思ったらなんとback numberのライブ開催の日。それを聞いた何人かが脱走を試みたものの、ツアー中の勝手な行動は一切許されません(笑)。そのまま本日のラストを飾る安治川隧道(ずいどう)へ。1944年(昭和19年)完成のこのトンネル、両岸にはエレベーターと階段が備わりかつては自動車も通行していましたが、現在は歩行者と自転車専用。トンネルとはいえ川底感はまったくなく、気温は年間を通して一定で夏涼しく冬暖かい通路です。でも万一水が漏れてきたら、と想像すると泳げない私にとっては恐怖でしかありません。
なんとか地上に出ると、あとはスタート地点に戻るのみ。およそ5時間にわたるツアーは、好天にも恵まれ無事に終えることができました。慣れない運転操作と安堵から疲労困憊だった私と違って、次はどこへ行こうかと笑顔で語り合っている皆さんの姿がとても印象的でした。誰かさんの誘導のせいで何度も躓いたり壁と接触したK野さん、ホントにゴメンなさい。次回までに腕を磨いて、もう少しスマートな誘導ができるよう励まねば。